参議院を地域代表にすることの重み-そこに物語はあるか

 シェイエスの言葉とされる「第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば、無用であり、もしそれに反対するならば、有害である」という認識は、まさに参議院のあり方をめぐってなされてきた議論と重なっている。
 事実、衆議院議員参議院議員の選出基盤の近似が指摘される一方で、参議院の「ねじれ」による円滑な政権運営の阻害が問題視されてきた。そこでは、選出基盤の近似をむしろ評価したり、あるいは「ねじれ」を上院の機能として肯定するような議論はあまりなく、むしろ参議院をいかに改革するかが議論されてきた。
 自民党は合区解消を目的とした改憲案の準備を進めているが、そのたたき台を見る限り、地域代表を目指すというよりも一人別枠方式を合憲化するための改憲案であるように見える(参考)。これは先述したような課題に応答したものではないし、人口比例でも地域代表でもない上院には、透き通った理念は見えてこない。改革案としてはあまり評価できないだろう。
 だが、問題は簡単ではない。人口比例とした上で合区を良しとしないならば、最低人口の都道府県に1議席を配分した上で、その人口をベースに各都道府県に議席を配分していけば良い。とはいえ、そこで生じる上院の定数増を国民が受け入れることができるかどうかは分からない。一票の格差是正の過程で定数削減がなされ、また定数削減が「身を切る改革」として肯定的に捉えられてきたことを考えれば、その決断をするのは難しいだろう。
 それでは、参議院を地域代表にしてしまうのはどうだろうか。鳥取にも東京にも同数の議席を配分することにすれば、衆議院との差別化もできるし、一票の格差も問題にはならない。なにより、地方分権という理念にも適う。このような議論は多くなされてきたが、実のところ、それは非常に「重い」決断になる。参議院の地域代表化によって、参議院の構造がどうなるかを見てみよう。

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 これは、各都道府県の有権者人口比率と、参議院が地域代表に移行した場合の議席比率(すなわち1/47)を表にまとめたものである。そして人口比率を昇順にし、両者の累積を見ている。
 この表からわかるのは、地域代表に移行した場合、有権者人口比率において10.10%の割合を占める人口下位14都道府県(鳥取~石川)が29.79%の議席保有するに至るということである。一方で、有権者人口比率が10.51%とそれら14都道府県の合計を超える東京都は、2.13%分の議席保有に留まることになる。また、鳥取~鹿児島の人口下位24都道府県で議席割合の過半数に達するが、その24都道府県の人口比率は21.05%になる。
 孫引きになってしまうので本当は良くないが、アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義 [原著第2版]: 多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)』には、SamuelsとSnyderの論文をもとにした、2000年頃の各国上院における過大代表の度合いを示した表が掲載されている。そこでは先程示したのとほぼ同じ、下位10%の有権者が選出する議席割合が比較されているのだが、例えばいくつか抜粋してみると、アルゼンチン44.8%、アメリカ39.7%、カナダ33.4%、オーストラリア28.7%、ドイツ24.0%、ベルギー10.8%、オランダ10.0%となっている。
 ベルギーやオランダについてみてみれば、両国が人口比例的な議席配分をしていることがわかる。先程の表では日本の現行制度における議席割合の累積も掲載しているが、人口下位14都道府県の議席比率は16.44%で、やや過大に代表されていることになる。
 本筋から少し脇道にそれてしまうが、現行の議席比率と人口比率(正確には人口比例で配分した場合の議席比率だが、同義と捉えて構わない)との差異についても見ておこう。

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 参議院選挙区の改選数は73議席なので、1.37%(すなわち1/73)の差異が改選1議席分(全体で2議席分)に当てはまると考えて良い。すなわち、埼玉、東京、神奈川、大阪の各都道府県は、現行制度下で改選1議席分以上過小に代表されていることになるが、一方で改選1議席分以上過大に代表されている都道府県は存在しないことがわかる。
 一端脇道にそれてしまったが、以上見てきたように、日本の参議院が地域代表に移行したとして、その過大代表の度合いは他国と比べ大きいとはいえない。とはいえ、それが大きな変化をもたらすのは必然で、そのような変化が国民に受け入れられるかどうかは、それにふさわしい物語を国民が想像できるかにかかっている。特に都市部の有権者がそれを受け入れられるだけの物語が必要である。
 もしかしたら、そのような物語は明治以降の中央集権化によって失われてしまったのかもしれないし、あるいはそうでなかったとしても、多くの時間を議論に費やすことが必要になるだろう。参議院の改革を一朝一夕に済ませることはできないし、そうするべきではない。自民党案がほんとうの意味でのたたき台になることを期待したい。

※以上の分析で使用したデータはすべて第24回参議院議員通常選挙結果調による。また、合区に関してはそれぞれの都道府県が0.5議席保有していると仮定し計算した。

 

参議院とは何か 1947~2010 (中公叢書)

参議院とは何か 1947~2010 (中公叢書)

 

憲法9条国際比較-9条改憲案にはなにが必要か

はじめに

 毎日新聞の投票マッチングサービス「えらぼーと」をやっていたら、面白い選択肢を見かけた。「憲法9条の改正について、あなたの考えに近いのはどれですか」という設問の選択肢が、「改正して、自衛隊の役割や限界を明記すべきだ」「改正して、自衛隊を他国同様の「国防軍」にすべきだ」「改正には反対だ」「無回答」の四択になっていたのである。
 「役割や限界が明記された自衛隊」と「他国同様の国防軍」との違いは、おそらく、それが「フルスペック」かどうかというところにあるのだろう。だがこの選択肢を見ると、まるで「他国同様の国防軍」には「役割や限界が明記され」ていないかのようにも読めてしまう。
 9条改憲をめぐっては「他国同様」や「他国並み」といった標語が使われることが多いが、実際のところ、他国は軍隊の役割やルールをどのように規定しているのだろうか。本稿では、憲法9条とその改憲案の国際比較を通じて、あるべき9条改憲案の姿を探っていくことにしたい。

 

各国の規定を読む

 いまここで、いちから軍隊に関する憲法規定を書き上げようとすればどのような項目が必要になってくるのだろうか。まずは他国の憲法に規定されている項目について、実例を挙げながら見ていくことにしよう。なお条文は、日本・アメリカ・カナダ・ドイツ・フランス・韓国・スイス・ロシア・中国については新版 世界憲法集 (岩波文庫)から、イタリアについては新解説世界憲法集 第4版から引用した。 また、読みやすいように書式等を統一している点、ご了承頂きたい。

①国家の目的・平和主義

 日本国憲法では、前文や9条において平和主義に基づいた崇高な理念が語られている。他国の憲法では、どのような目的や理念が定められているのだろうか。確認していきたい。
 まず第一に、国家の目的や首脳の任務に国防や国家の独立を掲げる国は多い。スイスとフランス、中国について見てみよう。

スイス連邦憲法
第二条 目的
① スイス連邦は、国民の自由及び権利を保護し、国の独立及び安全を保持する。

フランス憲法(一九五八年憲法
第五条〔大統領の任務〕
② 共和国大統領は、国家の独立、領土の無傷、条約の遵守の保障者である。

中華人民共和国憲法
第二九条〔国防〕
① 中華人民共和国武装力は、人民に属する。その任務は、国防を強固なものとし、侵略に抵抗し、祖国を防衛し、人民の平和な労働を防衛し、国家建設事業に参加し、人民に奉仕することに努力することである。
② 国家は、武装力の革命化、現代化、正規化の建設を強くおし進め、国防力を増強する。

 国家の独立はあらゆる国家の基礎的目標といえるだろうが、より国際的な視野についてはどうだろうか。実のところ、侵略戦争の否定にあえて言及している憲法は意外と少ない。だが、侵略戦争の否定は国連憲章にも規定されていることであり、憲法で規定されていないからといって侵略戦争を肯定しているわけではもちろんない。国連憲章、日独伊の旧枢軸国、そして韓国について条文を確認しよう。

国連憲章
第2条
4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

日本国憲法
第九条〔戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認〕
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ドイツ憲法ボン基本法
第二六条〔侵略戦争の禁止、兵器〕
① 諸国民が平和のうちに共生することを妨げ、とりわけ侵略戦争の遂行準備に資するとともに、そのような意図をもってなされる行為は、違憲である。かかる行為は、これを処罰するものとする。

イタリア共和国憲法
第11条〔戦争放棄、主権の制限〕
イタリアは、他の国民の自由を侵害する手段および国際紛争を解決する手法としての戦争を放棄する。イタリアは、他国と同等の条件において、諸国家間に平和と正義を確保する機構に必要な主権の制限に同意する。イタリアは、この目的のための国際組織を促進し、助成する。

大韓民国憲法
第五条〔侵略的戦争の否認、国軍の使命および政治的中立性〕
① 大韓民国は、国際平和の維持に努め、侵略的戦争を否認する。

 いずれの憲法も、表現はやや異なっているが、侵略戦争を否定していることに変わりはない。日本国憲法の9条1項に関しては、自衛戦争を含めたあらゆる戦争を放棄しているとする憲法学上の学説もあるが、侵略戦争のみの放棄に留まるとする説が一般的である。
 また、条約の遵守や国際機関との協調など、侵略戦争の放棄に限らず、なにかしら国際主義的な条文を憲法に備えているのが普通である。なお、イタリア共和国憲法では主権の制限について触れているが、日本国憲法には見られない規定である。同様の規定はドイツのボン基本法にも見られるため、以下に引用しておく。

第二四条〔諸高権の移譲〕
① 連邦は、法律により、諸々の高権を国際機関に移譲することができる。
② 連邦は、平和を維持するために、互恵的な集団安全保障の制度に加入することができる。この場合、連邦は、自らの諸高権を制限し、ヨーロッパ及び世界の諸国民の間に平和で永続的な秩序をもたらし、かつ保障することに、同意するであろう。
③ 国際紛争を規制するために、連邦は、一般的、包括的及び義務的な国際仲裁裁判所に関する協定に加入するであろう。

②軍隊の設置

 国家の独立を達成するためには軍隊が必要である。明文で軍隊の設置を宣言している憲法は意外と少ないが、ドイツ及びスイスに規定があるので取り上げておこう。

ドイツ憲法ボン基本法
第八七a条〔軍隊の設置、出動〕
① 連邦は、防衛のために軍隊を設置する。軍隊の数字に即した勢力及びその組織の大綱は、予算からこれが明らかになるようにしなければならない。
② 軍隊は、防衛のために出動する場合以外には、この基本法が明文で認めている限りでのみ、出動することが許される。

スイス連邦憲法
第五八条 軍隊
① スイスは、軍隊を有する。軍隊は、基本的に民兵制の原則に従って組織される。
② 軍隊は、戦争の防止及び平和の維持に寄与する。軍隊は、国及び住民を防衛する。軍隊は、国内的安全への重大な脅威及びその他の非常事態に対処するため、非軍事官庁を援助する、法律は、その他の任務を定めることができる。

 九条改憲をめぐっては、自衛隊の設置を九条三項ないし九条の二に規定する案が有力なので、これらの条文は参考になるだろう。

③指揮権の所在・政府権限

 さて、軍隊を設置したら次は指揮権の設定である。一般的に軍隊を指揮するのは大統領か首相である。例えばアメリカ、ロシア、カナダでは以下のような規定になっている。

アメリカ合衆国憲法
第二条〔合衆国大統領〕
第二節〔大統領の権限〕
① 大統領は、合衆国の陸海軍及び現に召集を受けて合衆国の軍務に服している各州の民兵の最高司令官である。(略)

ロシア連邦憲法
第八七条〔連邦大統領の軍指揮権〕
① ロシア連邦大統領は、ロシア連邦軍の最高総司令官である。

カナダ憲法(一八六七年憲法
第一五条〔女王の軍隊指揮権〕
カナダのおよびカナダにおける陸海の民兵、ならびに、すべての陸海軍の最高指揮権は、引き続き女王に帰属することをここに宣言する。

  アメリカとロシアでは大統領が司令官として定められているが、カナダでは女王が指揮権を有すると規定されている。もちろん女王は象徴的存在に留まり、実質的権限は内閣が行使するわけだが、特徴的な規定である。
 指揮権のほかに、首脳の権限として緊急事態の宣言や武官を含む公務員の任命権などが規定されることが多い。また、政府の役割を列挙する中で、国防に関する包括的な規定が定められているケースもある。緊急事態についての詳細は後述するが、例えばドイツ、フランス、韓国の憲法には以下のような規定がある。

ドイツ憲法ボン基本法
第六〇条〔任命、恩赦、免責〕
① 連邦大統領は、法律に特別の定めのある場合を除き、連邦裁判官、連邦公務員、将校及び下士官を、任命し罷免する。

フランス憲法(一九五八年憲法
第二〇条〔国政の運営とその手段、国会に対する責任〕
② 政府は行政機構と軍事力を使うことができる。

大韓民国憲法
第七三条〔外交、宣戦布告、講話〕
大統領は、条約を締結・批准し、外交使節を信任、接受または派遣し、また宣戦布告および講話を行う。 

④国会の権限

  続いて国会の権限である。国防に関する立法権限や、緊急事態の承認権限などが国会の権限として明記されることが多い。緊急事態についての詳細は後述するとして、ここではアメリカ、フランス、韓国、イタリアの憲法から抜粋する。

アメリカ合衆国憲法
第一条〔合衆国議会〕
第八節〔合衆国議会の権限〕
① 合衆国議会は、次の権限を有する。
⑪ 戦争を宣言し、敵国船捕獲の特許状を付与し、陸上及び海上における捕獲に関する規則を定めること。
⑫ 陸軍を徴募し、これを維持すること。ただし、この目的のための支出の承認は、二年を超えることができない。
⑬ 海軍を創設し、これを維持すること。
⑭ 陸海軍の統制及び規律のための規則を定めること。
⑮ 連邦の法律を執行し、反乱を鎮圧し、侵略を撃退するために、民兵の召集について定めること。
⑯ 民兵の編成、装備及び規律、並びに民兵のうち合衆国の軍務に服するものに対する統制について定めること。ただし、民兵の将校の任命及び合衆国議会の定める規律に従って民兵を訓練する権限は、各州に留保される。

フランス憲法(一九五八年憲法
第三五条〔宣戦〕
① 宣戦は国会が許可する。
② 政府は、外国へ武力を介入させる決定を遅くとも介入開始後三日以内に国会に通知する。政府は企図する目的を明確にしなければならない。当該通知は、討論の対象となしうるが、いかなる票決もしてはならない。
③ 介入の期間が四月を超えるときには、政府はその延長を国会の承認に付す。政府は、国民議会に最終的決定権者として決定することを求めることができる。
④ 四月の期間の満了時に国会が会期中でないときには、国会は次会期の開始時に決定する。

大韓民国憲法
第六〇条〔条約・宣戦布告についての同意〕
① 国会は、相互援助もしくは安全保障に関する条約、重要な国際組織に関する条約、友好通商航海条約、主権の制約に関する条約、講和条約、国家もしくは国民に重大な財政的負担を負わせる条約、または立法事項に関する条約の締結・批准についての同意権を有する。
② 国会は、宣戦布告、国軍の外国への派遣または外国軍隊の大韓民国領域内における駐屯についての同意権を有する。

イタリア共和国憲法
第78条〔戦争状態の議決〕
両議院は、戦争状態を議決し、必要な権限を政府に付与する。 

 軍隊の出動や防衛事態の認定を国会の統制に置く規定は、一般的に共通しているが、その表現はさまざまである。国会会期の延長や、地方に対する国会の専属立法権なども定められるケースが多いが、詳細は後述する。

⑤軍事裁判所

 行政、立法ときたので次は司法である。軍事裁判所の目的のひとつは、軍紀を維持することにある。戦前の日本で行われた軍法会議を見れば分かる通り、人権に慎重な配慮をして制度設計をしなければ、不幸を招くことになる。例えば、特別裁判所としてではなく、最高裁判所系列の下級裁判所として位置付けるのには、大きな意味がある。以下に、ドイツ、韓国、イタリアの憲法から条文を引用する。

ドイツ憲法ボン基本法
第九六条〔それ以外の連邦裁判所〕
② 連邦は、軍隊に対する軍事裁判所を連邦裁判所として設置することができる。軍刑事裁判所は、防衛出動事態においてのみ、及び、海外に派遣され又は軍艦に乗船させられている軍隊の所属者についてのみ、刑事裁判権を行使することができる。詳細は、連邦法律が、これを定める。これらの裁判所は、連邦法務大臣が分掌する。そこにおける専任裁判官は、裁判官職に就任する資格を有していなければならない。
③ 第一項及び第二項に掲げた裁判所にとっての最高裁判所は、連邦通常裁判所である。

大韓民国憲法
第一一〇条〔軍事裁判〕
① 軍事裁判を管轄するため、特別法院として、軍事法院を置くことができる。
② 軍事法院の上告審は、大法院で管轄する。
③ 軍事法院の組織・権限および裁判官の資格は、法律で定める。
④ 非常戒厳下の軍事裁判は、軍人・軍務員の犯罪または軍事に関する間諜罪の場合、および哨兵・哨所・有毒飲食物供給・捕虜に関する罪のうち法律の定めた場合に限り、単審で行うことができる。但し、死刑を宣告した場合には、この限りではない。
※単審とは、一審のみで上訴のできない裁判のこと。

イタリア共和国憲法
第103条〔国務院・会計院の裁判権、軍事裁判所〕
③ 軍事裁判所は、戦時においては、法律が定める裁判権を有する。軍事裁判所は、平時においては、軍隊に属する者が行った軍事犯罪についてのみ裁判権を有する。

 日本国憲法76条2項は「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と規定しているので、最高裁判所を頂点とする系列から独立した裁判所を設置することはできない。一方でこのような規定は軍事裁判所を設置するドイツや韓国にも見られるものであり、日本でも軍事裁判所を設置する余地はあるといえるだろう。

⑥緊急事態・任期の延長

 三権の規定についてこれまで確認してきたので、ここからは個別の規定に移る。緊急事態はその名称から要件、認定された場合の政府権限まで各国の中で幅があるが、任期の延長など多くの国がなんらかの規定を置いている。緊急事態について網羅的に扱うと引用が長くなってしまうので、ここでは要件や重要概念に絞って取り扱いたい。まずはドイツ憲法ボン基本法)の条文を見てみよう。

第一一五a条〔防衛出動事態とその確定〕
① 連邦領土が武力によって攻撃され、又はかかる攻撃の直接の脅威が存することの確定(防衛出動事態)は、連邦議会が、連邦参議院の同意を得て、これを行う。この確定は、連邦政府の申立てにより行われ、その際、投票数の三分の二の多数で、かつ、少なくとも連邦議会議員数の過半数を必要とする。
② 事態が即時の行動を不可避的に要求する状況で、かつ連邦議会が適時に集会するには克服し難い障害があり、又は連邦議会が議決不能のときは、合同委員会が、投票数の三分の二の多数で、かつ、少なくとも委員数の過半数をもって、この確定を行う。

第一一五e条〔連邦議会及び連邦参議院の代行機関〕
① 合同委員会が、防衛出動事態において、投票数の三分の二の多数、少なくとも委員数の過半数により、連邦議会の適時の集会に克服し難い障害があり、又は連邦議会が議決不能であることを確定したときは、合同委員会は、連邦議会及び連邦参議院の地位を有し、かつ、その諸権利を一体として行使する。
② 合同委員会による法律によって基本法を改正し、基本法の全部若しくは一部を失効させ、又はその適用を停止することは、許されない。(略)

第一一五k条〔規範の通用性〕
② 合同委員会が議決した法律及びこれらの法律に基づいて発布された法規命令は、防衛出動事態の終了後、遅くとも六カ月後には失効する。

第一一五l条〔合同委員会による法律の廃止、防衛出動事態の終了〕
① 連邦議会は、何時でも、連邦参議院の同意を得て、合同委員会の法律を廃止することができる。(略)
② 連邦議会は、何時でも、連邦参議院の同意を得て、連邦大統領が公布すべき議決により、防衛出動事態の終了を宣言することができる。(略)
③ 講和条約の締結については、連邦法律でこれを決定する。

 ドイツ憲法ボン基本法)の記述は細かい方で、発動プロセス・連邦政府の権限拡大・終了プロセスを軸として、憲法裁判所の維持(第一一五g条)や被選期及び任期の延長(第五三a条)といった事項が盛り込まれている。
 国会が機能しなくなったときの授権先として合同委員会が設定されているが、合同委員会については「合同委員会は、その三分の二を連邦議会議員によって、三分の一を連邦参議院構成員によって組織する。連邦議会議員については、院内諸会派の議員数の割合に応じて連邦議会がこれを決定するが、議員は連邦政府に所属してはならない。」(第五三a条一項)と定められている。
 独自の機関を持つのは、例えばフランス憲法(一九五八年憲法)も同様である。見てみよう。

第一六条〔非常事態権力〕
① 共和国の諸制度、国の独立、領土の保全あるいは国際的約束の履行が重大かつ切迫した脅威にさらされ、憲法上の公権力の正常な運営が妨げられた場合には、共和国大統領は、首相、両議院議長および憲法院長に公式に諮問した後、状況により必要とされる諸措置を採る。
② 共和国大統領は、教書を発してこれを国民に伝える。
③ これらの措置は、憲法上の公権力機関にその任務を果たすための手段を最短期間のうちに確保させる意思の表れたものでなければならない。憲法院は、それに関して諮問を受ける。
④ 国会は、法上当然に集会する。
⑤ 国民議会は、非常事態権力の行使中は、解散することができない。
⑥ 非常事態権力が三〇日間行使された後には、国民議会議長、元老院議長、六〇名の国民議会議員もしくは六〇名の元老院議員は、第一項に規定された諸条件の充足が継続しているのかどうかを審査するために憲法院に訴え出ることができる。憲法院は、最短期間の内に公開意見により、その判断を表明する。憲法院は、非常事態権力行使六〇日後には、法上当然にこの審査を行って同じ要件の下にその判断を表明し、この期間を超えた後にはいつでもそれを行うことができる。

第三六条〔戒厳令
① 戒厳令は閣議により布告される。
② 一二日間経過後のその延長は、国会のみが許可することができる。

 ドイツ憲法ボン基本法)と比べると授権の規定に乏しいが、開始から終了に至るプロセスはしっかりと明記されている。また、ここでも任期の延長が定められている。非常事態の審査権限を有するとされる憲法院は、以下のように規定されている。

第五六条〔憲法院の構成と院長の権限〕
① 憲法院は、任期九年で更新の許されない九名の構成員から成る。憲法院は、三年ごとに三分の一ずつ交代する。構成員の三名は共和国大統領により、三名は国民議会の議長により、三名は元老院の議長により任命される。(略)
② 前項に定める九名の構成員のほかに、元共和国大統領が法上当然に終身の憲法院構成員となる。
③ 院長は、共和国大統領が任命する。院長は、可否同数の場合に決裁権をもつ。

 歴代大統領がメンバー入りするというのは、なかなかにロマンに溢れているように思う。映画的だし、絵面も映えそうである。面白そうだから日本でもやってほしい。
 ドイツやフランスのように、国会とは異なる機関が非常事態において決定や審査の役割を担うことになるケースがある一方で、国会がそれらの役割を果たすケースもある。大韓民国憲法の規定を見てよう。

第七六条〔緊急処分・命令権〕
① 大統領は、内憂、外患、天災、地変または重大な財政・経済上の危機において、国家の安全保障または公共の安寧秩序を維持するために緊急な措置が必要であり、かつ国会の集会を待つ余裕がないときに限り、最小限必要な財政・経済上の処分をなし、またはこれに関し、法律の効力を有する命令を発することができる。
② 大統領は、国家の安危にかかわる重大な交戦状態において、国家を保衛するために緊急の措置が必要であり、かつ国会の集会が不可能なときに限り、法律の効力を有する命令を発することができる。
③ 大統領は、第一項および第二項の処分または命令を行ったときには、遅滞なく国会に報告し、その承認を得なければならない。
④ 第三項の承認を得ることができなかったときには、その処分または命令は、そのときから効力を喪失する。この場合、その命令により改正または廃止された法律は、その命令が承認を得ることができなかったときから、当然に効力を回復する。

第七七条〔戒厳宣布令〕
① 大統領は、戦時、事変またはこれに準ずる国家非常事態において、兵力をもって軍事上の必要に応じ、または公共の安寧秩序を維持する必要があるときには、法律の定めるところにより、戒厳を宣布することができる。
③ 非常戒厳が宣布されたときには、法律の定めるところにより、令状制度、言論・出版・集会・結社の自由、政府または法院の権限に関して、特別の措置をとることができる。
④ 戒厳を宣布したときには、大統領は、遅滞なく国会に通告しなければならない。
⑤ 国会が、在籍議員の過半数の賛成をもって戒厳の解除を要求したときには、大統領は、これを解除しなければならない。

 非常に簡潔な内容になっていて理解がしやすいが、権限授与が広範な割に期限の設定がないなど、やや不安なところもある。
 以上の憲法は細かい規定を保有しているが、その規定が緩い憲法としては、イタリア共和国憲法があるだろう。

第77条〔委任命令、緊急命令〕
② 緊急の必要がある非常の場合に政府がその責任で法律の効力を有する暫定措置をとったときは、政府は、これを法律に転換するために、その日のうちにこれを両議院に提出しなければならない。両議院は、解散されている場合であっても、特に召集され、5日以内に集会する。
③ この命令は、その公布から60日以内に法律に転換されなければ、はじめからその効力を失う。ただし、両議院は、法律に転換されなかった命令に基づき生じた法律関係を法律で規律することができる。

 この条文では国会の事後承認が規定されているが、先述した第78条は「両議院は、戦争状態を議決し、必要な権限を政府に付与する。 」と包括的な規定をしている。法律レベルでの規定については把握していないが、憲法上の規定は簡素で曖昧な印象を受ける。
 日本の文脈では、緊急事態条項は自民党憲法草案に明記されたこともあって危険視される傾向が強かったが、以上見てきた通りそれ自体は多くの憲法に見られるものである。その規定としての細かさないし緩さは各国によってまちまちであり、自民党の草案を極めて非常識な条文であると頭ごなしに否定することはできないだろう。もっとも、自民党草案に改善の余地が大いにあることは多くの専門家の指摘する通りだろうし、各国の実際の発動事例についても調査し、ほんとうに緊急事態条項が必要なのかどうか、そこから議論を始める必要がある。
 一方実際の改憲議論を見てみると、緊急事態については専ら国会議員の任期延長に焦点が移っているようにみえる。日本国憲法第五四条二項は「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。」と規定しており、国会議員の任期延長の必要性は薄いようにも思えるが、議論する余地はあるだろう。
 カナダ憲法(一九八二年憲法)には任期の延長規定があるので、これを最後に見ておこう。

カナダ憲法(一九八二年憲法
第四条〔立法機関の議会期〕
② 戦争、侵略もしくは反乱が実際に発生し、あるいはそのおそれがあるとき、下院または州の立法議会のそれぞれ三分の一を超える議員の反対のない限り、下院は連邦議会によって、また、州の立法議会は州の立法府によって、事情に応じて、その議会期を五年以上とすることができる。

 三分の一規定により少数派にも配慮している点が個人的には高ポイントである。

⑦徴兵制

 徴兵制の規定を憲法に置いているケースは多いが、ドイツやイタリアなど、憲法上の規定を残して実質的な廃止がなされた国もある。日本においては憲法十八条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」という規定によって禁止されているとするのが政府解釈ではあるが、それを否定する見解もある。ここではドイツ、スイス、ロシア、中国、イタリアの条文から雰囲気を掴んでいきたい。

ドイツ憲法ボン基本法
第一二a条〔兵役及び代役義務〕
① 男子に対しては、満一八歳より、軍隊、連邦国境警備隊又は民間防衛団体における役務に従事する義務を課することができる。
② 良心上の理由から武器を伴う軍務を拒否する者に対しては、代役に従事する義務を課することができる。この代役の期間は、兵役の期間を超過してはならない。詳細は、法律がこれを定めるが、良心の決定の自由を侵害してはならず、かつ、軍隊及び連邦国境警備隊に何らかかわることのない代役の可能性をも考慮したものでなくてはならない。
④ 防衛出動事態において、民間の衛生施設及び医療施設並びに常駐の野戦病院における非軍事的勤務の需要が志願者のみによっては充たされないときは、法律により又は法律の根拠に基づいて、満一八歳から満五五歳までの女子をこの種の勤務に徴用することができる。女子は、いかなる場合にも、武器を伴う軍務を義務付けられてはならない。
⑥ 防衛出動事態において、第三項第二文所定の分野における労働力需要が志願者のみによっては充たされない場合には、この需要を確保するために、法律により又は法律の根拠に基づいて、ドイツ人の職業活動や職場を放棄する自由を制限することができる。(略)

スイス連邦憲法
第五九条 兵役及び代替役務
① すべてのスイス人男性は、兵役に従事する義務を負う。法律は、非軍事的代替役務を定める。
② スイス人女性については、兵役は、任意である。
③ 兵役にも代替役務にも従事しないスイス人男性には、負担金が課される。(略)
④ 連邦は、所得の損失に対する適正な補償について定める。
⑤ 兵役又は代替役務への従事の際に健康被害を被った者又は生命を失った者は、自ら又は親族に対し、連邦による適切な扶助を要求する権利を有する。

ロシア連邦憲法
第五九条〔兵役の義務・代替的市民奉仕〕
① 祖国の防衛は、ロシア連邦市民の責任かつ義務である。
③ 自己の信条または信仰が兵役の遂行に反する場合、ならびに連邦の法律が定めるその他の場合、ロシア連邦市民は兵役を代替的市民奉仕に代える権利を有する。

中華人民共和国憲法
第五五条〔祖国防衛の責任、兵役〕
① 祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国のひとりひとりの市民の神聖な職責である。
② 法律に従って兵役に服し、及び、民兵組織に参加することは、中華人民共和国市民の光栄な義務である。

イタリア共和国憲法
第52条〔兵役の義務〕
① 祖国の防衛は、市民の神聖な義務である。
② 兵役は、法律が定める制限と方法において、義務である。市民は、兵役義務の履行によって、その職務上の地位および政治的諸権利の行使を脅かされない。
③ 軍隊の秩序は、共和国の民主的精神に従う。

  ドイツとスイスでは明らかに性差が意識された条文になっている。他の国家でも憲法上の規定がないだけで法律レベルでは性差が反映されているのだろうが、スイスで女性参政権が認められたのが1971年であるという事実の一因には、こういった背景があるのかもしれない。また、ロシア・中国・イタリアでは「神聖」とか「光栄」といった意識高揚のための装飾が見られる。

⑧地方に対する中央政府の専権事項

 連邦国家のような地方政府に多くの権限を与えている国家においては、中央・地方の専属権限や競合権限を憲法に箇条書きするケースも多い。安全保障は中央政府の代表的な役割となるため、特に憲法に規定される場合がある。日本でも本格的な地方分権が議論される傾向にあるが、実現した場合はこういった条文も必要になるかもしれない。アメリカ、カナダ、イタリアから条文を引用する。

アメリカ合衆国憲法
第一条〔合衆国議会〕
第一〇節〔州の権限に対する制約〕
① いかなる州も、条約を締結し、同盟を結び、連合を結成し、敵国船舶捕獲の特許状を付与し(略)てはならない。
③ いかなる州も、合衆国議会の同意なく、トン税を賦課し、平時において軍隊もしくは軍艦を保持し、または他の州もしくは外国と協約もしくは協定を締結してはならない。また、現に侵略を受け、または猶予しがたい急迫の危険がある場合を除き、合衆国議会の同意なく、戦争行為をしてはならない。

カナダ憲法(一八六七年憲法
第九一条〔カナダ議会の権限〕
(略)カナダ議会の専属的立法権限は、(この憲法の規定にかかわらず)、次の各号に掲げる項目分類に該当するすべての事項に及ぶことを、本条前段の規定の一般性を限定するためではなく、より一層明確にするために、ここに宣言する。すなわち、
7 民兵、陸海軍および国防
 本条において列挙された項目分類に該当するいかなる事項も、この憲法により州の立法府に専属的に付与された項目分類の列挙に含まれている地方的または私的性質の事項に該当するとみなしてはならない。

イタリア共和国憲法
第117条〔国の専属的立法事項、国と州との競合的立法事項等〕
② 国は、以下に掲げる事項について専属的な立法権を有する。
d) 防衛および軍隊、国家の安全ならびに武器、弾薬および爆薬

⑨その他

 以上、各国の憲法にある程度共通して見られる事項について取り扱ってきた。ここでは、それぞれの憲法に特色ある規定を取り上げていきたい。例えば日本国憲法第六六条二項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定め、現役軍人の国務大臣就任を否定しているが、これはもちろん戦前の反省に立ったものである。同様の規定は韓国にもあるが、憲法レベルでこのような規定があるのは珍しいだろう。
 他国でいえば、アメリカ合衆国憲法の修正第二条は有名であろう。

修正第二条〔武器の保有権〕
よく規律された民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し携帯する権利は、これを侵してはならない。

 アメリカにおける銃規制の困難さは、圧力団体といった政治レベルだけでなく、憲法レベルにもあることがわかる。この規定はまさにアメリカならではだろう。
 また、傷痍軍人に特別な権利を認める規定を持つ憲法もある。

大韓民国憲法
第三二条〔勤労の権利・義務等、国家有功者の機会優先〕
⑥ 国家有功者、傷痍した軍人および警察公務員、ならびに戦没した軍人および警察公務員の遺族は、法律の定めるところにより、優先的に勤労の機会を附与される。

中華人民共和国憲法
第四五条〔ハンディキャップある市民に対する政策〕
② 国家及び社会は、傷痍軍人の生活を保障し、殉難烈士の家族に補償を与え、軍人の家族を優遇する。

 多くの国家では法律レベルでの規定がなされているのだろうが、憲法上の権利として認めているのは興味深い。
 また、在外国民の保護を定めた憲法もある。

大韓民国憲法
第二条〔国民の要件、在外国民の保護〕
② 国家は、法律の定めるところにより、在外国民を保護する義務を負う。

ロシア連邦憲法
第六一条〔自国民の保護〕
② ロシア連邦は、国外にいる自国の市民の保護および庇護を保障する。

  在外国民の保護というのは武力介入の口実に使われることも多く、模範的日本人としてはやや抵抗感の残る条文である。こうしてみると、韓国の憲法はなかなかに「愛国」的性格が強いことが分かる。
 また、スイス憲法には有名な民間防衛に関する規定もあるので、ここに引用する。

第六一条 民間防衛
① 武力紛争の影響に対する人及び財産の民間防衛についての立法は、連邦の権限事項である。
③ 連邦は、男性について民間防衛役務が義務的である旨を宣言することができる。女性については、当該役務は、任意である。
④ 連邦は、所得の損失に対する適正な補償について法令を制定する。
⑤ 民間防衛役務への従事の際に健康被害を被った者又は生命を失った者は、自ら又は親族について、連邦による適切な扶助を要求する権利を有する。

 

改めて9条を読む

 以上、各国の憲法について見てきた。ここで一度、憲法9条に立ち戻ってみようと思う。

第九条〔戦争の放棄。戦力の不保持、交戦権の否認〕
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 こうしてみると、日本国憲法における安全保障に関する規定は、極めて簡素であるように思える。もちろん、先述したような項目をすべて備える憲法は逆に珍しいだろうし、またそれが必要であるわけでもない。だが、自衛隊の存在を前提とすれば、少なくとも指揮権の所在や国会の権限などは、憲法レベルでの規定があっても良いのではないだろうかという疑問が当然出てくる。
 ここで不安なのは、規定の不在によってむしろ立憲主義が脅かされてしまう危険性である。立憲民主党代表の枝野幸男は、2005年当時、憲法調査会において以下のように発言している(リンク)。

 私は、憲法九条に込められた思い、理念は、今後とも変わらない、変えるべきではないものだと思っていますし、戦後六十年の日本の、ある意味での成功の一つの要素として憲法九条の存在があったと高く評価するものであります。
 しかしながら、現在の日本の状況、そして憲法の状況を考えたときに、現行の九条をこのまま維持するということには大変重大な問題があると思っています。それは、自衛隊あるいは自衛権というものについて、その存在を認めることについてはほぼ大方のコンセンサスがあるかと思いますが、そうした存在を認めておきながら、そうした最も強力な公権力行使についてのルールが憲法に規定されていないということであります。
 言うまでもなく、立憲主義というのは、近代憲法というのは、公権力行使のルールと限界を定めた法であります。そのときに、自衛権の行使という最も強力な公権力行使について、どこまでできるのか、何ができるのか、どういうルールで行うのかということがすべて解釈で規定をされているという現状は、余りにもリスクが大き過ぎると思っています。全くハードルになっていない。現実に、残念ながら、この間、無理な解釈の変更あるいは無理な解釈の継ぎはぎによって、事実上自衛隊の権限行使の限界を拡大してきているという現状も存在をしています。
 むしろ、憲法九条に込められた理念、つまり、侵略戦争を行わない、我が国が無用な戦争に巻き込まれないというような理念をしっかりと守っていくためには、憲法においてしっかりとこの自衛隊という大きな公権力行使のルールと限界を定めておくことが重要であると思っております。
 なお、単に自衛権を明記するとか自衛隊の存在を明記するということだけでは、全くそうした立憲主義の本来の意味からは無意味である、現行憲法でも解釈できているわけですから。どういうときに自衛権が発動でき、自衛権行使の限界はどこまでであるのか、あるいはシビリアンコントロールというこうした強力な公権力行使に当たっての基本原則、それから国際貢献のための自衛隊派遣の場合の要件や限界、こうした基本的なルールを憲法典にしっかりと書き込んでおいて、その限界を共通認識にさせ、明確にさせておくこと。もちろん、余り細かいことまで憲法典に書いてしまいますと、それは大変不自由であるという観点がありますから、安全保障基本法のような下位法をもってその詳細を決めるということはあってもいいかと思いますが、基本原則は、やはり憲法典に書いておかなければいけないだろうというふうに思っております。

 枝野幸男が抱いていた懸念を共有するならば、憲法九条改憲にあたっては、自衛隊の明記などが本丸になっていいはずがない。指揮権の明記や国会の権限、出動(防衛事態認定)の要件などが規定されてはじめて、立憲主義改憲がなされるはずである。
 また、立憲主義の意味を踏まえれば、九条二項に定められた軍隊の不保持や交戦権の否認についても、その意味をじっくりと検討し、削除を含めて検討すべきといえるだろう。条文と解釈との距離があまりにも広がってしまえば、憲法の規定が意味を持たなくなってしまうからである。
 もちろん、このような議論に対する批判も可能だろう。
 ケネス・盛・マッケルウェインによれば、日本国憲法は他国の憲法と比べ簡潔であり、また、統治機構よりも人権に関する規定に比重が置かれている。その結果として法律レベルでの対応可能性が高くなり、改憲回数の少なさに繋がっているという(リンク)。
 このような日本国憲法の特色を踏まえれば、他国の憲法と比較すること自体がナンセンスといえるかも知れない。例えば、第四一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」とする規定や、第六五条の「行政権は、内閣に属する。」という規定から、自衛隊の指揮権や国会の権限を法律レベルで導き出すことは可能だろう。
 また、三浦瑠麗のように「中学生が読んで自衛隊違憲となる憲法はおかしい」としてしまうのは、あまりにも素朴な憲法議論といえるかもしれない(リンク)。条文と解釈との乖離を問題視し立憲主義の回復を訴えるのであれば、第八九条を含め全面的な改正が必要になるが、そういった議論は全く見えてこない。より精緻で独善的でない議論が求められるだろう。

9条改憲案を読む

 現在に至るまで、さまざまな憲法改正案が発表されてきた。ここではその一部を取り上げ、先程の国際比較を前提にその特徴を見ていきたい。

自民党「新憲法草案」「日本国憲法改憲草案」

 まずはやはり、自民党改憲草案を扱いたい。自民党改憲草案には2005年版と2012年版があるので、両方見ていこう。
 まずは2005年発表の「新憲法草案」からである。自民党のホームページからは削除されてしまったのか読めないが、こちらに転載されたものがある。

第二章 安全保障
第九条〔平和主義〕
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第九条の二〔自衛軍
① 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
② 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④ 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

 章のタイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」に変わっていることに気づく。九条二項の削除を含め、自衛戦争までは放棄していないという点を強調したいのだろう。この改憲草案では下級裁判所としての軍事裁判所の設置も規定されているが、緊急事態についての規定はない。その点を踏まえると、九条の二は詳細を法律に委任し過ぎであるように思える。もっと国会の権限について踏み込んで明記したほうが良いだろう。
 それでは、かの悪名高い、2012年に発表された「日本国憲法改憲草案」はどうだろうか。こちらから読めるので見てみよう。

第二章 安全保障
第九条〔平和主義〕
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
② 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

第九条の二〔国防軍
① 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
② 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
③ 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
④ 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
⑤ 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

第九条の三〔領土等の保全等〕
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 基本的には2005年のものを踏襲しているが、九条の三で領土の保全が規定され、また第二十五条の三では「国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。」と規定するなど、「愛国」的側面が強くなっている(先述した通り、これらの条文が国際的に見て極めて異質なものであるとはいえないのだが)。
 また、第九八条、九九条では緊急事態についても規定されているが、長くなってしまうのでここでは引用しない(管見については先に述べた通りである)。総じて2012年版は、良くも悪くも2005年版と比べ右派カラーが濃くなっている。それが国民に受け入れられるかどうかはともかくとして、右派なりの理念を込めようとしたのは悪いことではないと個人的には思う。むしろそうでなければ「つまらない」とさえ思うのである。

鳩山由紀夫「新憲法試案」

 理念を込めるのは悪いことではないというのは、左派の側からそのような「攻めた」改憲案が出てきてもいいだろうという期待の裏返しでもある。ここでは、その片鱗を伺える鳩山由紀夫の著作『新憲法試案―尊厳ある日本を創る』から引用したい。

第四章 平和主義及び国際協調
第四六条〔侵略戦争の否認〕
① 日本国民は、国際社会における正義と秩序を重んじ、恒久的な世界平和の確立を希求し、あらゆる侵略行為と平和への破壊行為を否認する。
② 前項の精神に基づき、日本国は、国際紛争を解決する手段としての戦争及び武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄する。

第四七条〔国際活動への参加〕
日本国は、国際連合その他の確立された国際的機構が行う平和の維持と創造のための活動に積極的に協力する。

第四八条〔主権の移譲〕
① 日本国は、この憲法の定める統治の基本秩序に反しない限り、法律により、主権の一部を国際機構に移譲することができる。
② 日本国は、国際社会の平和と安定に寄与するため、集団的安全保障活動に参加するときは、法律により、主権を制限することができる。

第四九条〔国際法の遵守〕
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、誠実に遵守する。

第五章 安全保障
第五〇条〔自衛軍
① 日本国は、自らの独立と安全を確保するため、自衛軍を保持する。
② 自衛軍の組織及び行動に関する事項については、法律で定める。

第五一条〔内閣総理大臣の指揮監督権限〕
自衛軍の最高の指揮監督権限は、内閣総理大臣に属する。

第五二条〔国会の承認〕
内閣総理大臣が、自衛軍の出動を命ずるときは、法律の定めるところにより、国会の承認を必要とする。

第五三条〔大量破壊兵器の不保持〕
核兵器、生物化学兵器をはじめとする大量破壊兵器は、開発し、製造し、及び保有することを禁ずる。

第五四条〔徴兵制の否定〕
日本国民は、自衛軍への参加を強制されない。

 いかがだろうか。国際貢献を高らかに謳い、主権の移譲や集団安全保障への参加を宣言してみせている。また、大量破壊兵器の不保持や徴兵制の否定といった規定も備えている。政府解釈によれば日本国は九条のもと核兵器保有しうると言うし、徴兵制は現行憲法下でも否定されないという論者も多い。なればこそ、このように自らの理念や理想に近付こうとする改憲案が必要なのではないだろうか。左派からの九条改憲案を考える上で、この鳩山改憲案は多くの示唆に富んでいるといえるだろう。
 なおこの鳩山試案では、ほかに緊急事態、任期延長、地方分権化と中央政府の専権事項列挙などの規定も見られる。また、意外なことだが(失礼!)、読売憲法改正試案にも、大量破壊兵器保有・使用禁止、軍隊に参加することの非強制などが盛り込まれているので、参照されたし。

枝野幸男第三の道

 立憲民主党代表の枝野幸男憲法九条改憲の必要性について述べていたことは先述した。氏は2013年に具体的な改憲案を提示している(文藝春秋 2013年 10月号 [雑誌])ので、確認したい。ここでは現行九条は二項を含めそのまま維持されている。

第九条
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第九条の二
① 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。
② 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を及ぼすおそれがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる。
③ 内閣総理大臣は、前二項の自衛権に基づく実力行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する。
④ 前項の組織の活動については、事前に、又は特に緊急を要する場合には事後直ちに、国会の承認を得なければならない。

第九条の三
① 我が国が加盟する普遍的国際機関(注・現状では国連のこと)によって実施され又は要請される国際的な平和及び安全の維持に必要な活動については、その正当かつ明確な意思決定に従い、かつ、国際法規に基づいて行われる場合に限り、これに参加し又は協力することができる。
② 前項の規定により、我が国が加盟する普遍的国際機関の要請を受けて国際的な平和及び安全の維持に必要な活動に協力する場合(注・多国籍軍PKO等、国連軍創設意外の場合)においては、その活動に対して急迫不正の武力攻撃がなされたときに限り、前条第一項及び第二項の例により、その武力攻撃を排除するため必要最小限の自衛措置をとることができる。
③ 第一項の活動への参加及び協力を実施するための組織については、前条第三項及び第四項の例による。

 他国の憲法や他の改憲案と比べても、非常に細かい規定になっていることが見て取れる。自衛隊出動の要件を細かく記述することで、恣意的な運用がなされないよう注意を払っているのである。もちろん、規定が細かすぎれば柔軟な対応ができなくなるとか、あるいはそもそも要件が厳しすぎるとか、法律レベルで規定すべきとか、いろいろな批判がありうるだろう。だが、これもまたその理念がよく分かる改憲案であり、このような議論がなされること自体好ましいことであると思う。

 

おわりに

 以上、長くなってしまったが、世界各国の憲法、それから幾つかの九条改憲案について見てきた。結局のところ、大事なのはしっかりと九条に向き合うことであるように思う。改憲も護憲も、それ自体が目的化してしまっては意味がない。理想や実態と条文との間にズレがあるのならば、九条は改憲したほうが良いのかもしれない。そのような機運の中で、左派がどれだけ積極的な議論をできるかが重要になるのではないか。
 なぜならば、そのような機運は左派にとっても大きなチャンスだからである。核兵器を開発したり保有したりする未来があってはならない。国民が軍隊に強制的に参加させられる未来があってはならない。自衛隊の活動は細かく制限されるべきであり、それは国会の統制下に置かれるべきである。このような理想を持てばこそ、それを憲法に明記せんとする運動を起こしていけばいい。そのような改憲自衛隊の明記や九条二項の削除と引き換えに実現することは、決して敗北を意味しないだろう。むしろ輝かしい勝利といえるのではないだろうか。
 九条改憲をめぐる議論は、否応なしに進められていく。そのときにこそ、左派の真価が問われることになるだろう。

 

新版 世界憲法集 (岩波文庫)

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新解説世界憲法集 第4版

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Xiaomi Mi 5X開封の儀&レビュー

 いつものブログとは趣旨がだいぶ異なるのですが、この度Xiaomi Mi 5XをGearBestより購入しましたので、それを記事にしたいと思います。他にやっている人を見かけなかったので…。何かご要望等ありましたらコメントお願いいたします。

スペック

 まずは簡単なスペック紹介から。Mi 5Xは今年8月に中国国内で発売されたXiaomiの新モデルです。32GBモデルはGearBestのセールで2万4千円程度で販売されています。Snapdragon 625を採用したミッドレンジモデルですが、4GB RAMを搭載するなど同価格帯では高いコスパを誇っています。
 日本のAmazonでも取り扱いがあるようですが、高めな上に「日本仕様」とのことなので、個人輸入出来る方はGearBestなどから購入することをおすすめします(GearBestの購入ページはこちら)。ヤフオクイオシスなどでも取り扱いがあるかもしれません。

 ちなみに私が注文してから家に届く間に、Xiaomiが自社初のAndroid One製品であるXiaomi Mi A1を発表しましたが、筐体はこの5Xです。もしかしたらカスタムROMも充実化してくるかもしれませんね。
 ※追記:こちらでMi A1のROMが公開されています。

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Hardware

CPU: Qualcomm Snapdragon 625
Cores: 2.0GHz,Octa Core
RAM: 4GB RAM
ROM: 32GB / 64GB

Display

Screen size: 5.5 inch
Screen resolution: 1920 x 1080 (FHD)

Camera

Back-camera: 12.0MP + 12.0MP
Front camera: 5.0MP

Battery

3080mAh(typ) / 3000mAh(min)

Dimensions and Weight

size: 15.54 x 7.58 x 0.73 cm
weight: 0.1650 kg

 

開封の儀

 それでは早速開封していきたいと思います。Mi 5XにはBlack, Gold, Rose Goldの三色があるのですが、今回購入したのはBlackです。Silverがないのは個人的には残念ですね。
 購入したのは8月28日で、発送連絡は9月4日。追跡をみると中国を後にしたのが9/7で、本日8日に我が家に到着しました。発送方法はPriority Lineで、日本での配送業者は佐川急便でした。

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 梱包状態はこんな感じ。わかりにくいですが、今回はケースを2つ同時購入しています。

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 箱、小さいですね。シンプルな感じに収まっています。

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 内容物はこちら。日本で使えるACアダプター(5V2A)とUSB TypeC-Aのケーブルが入っています。

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 何もないように見えますが、オンスクリーンタイプのナビゲーションバーではなく、ディスプレイ下にソフトキーがあります。

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 こちらは下部と右側面の写真。Type-Cですが、Quick Chargeには対応していないようです。実際にQC対応充電器で充電してみたところ、5%から95%になるまでにかかった時間は1時間40分程度でした。充電速度は途中から遅くなるということはなく一定で、満充電にかかる速度はQC対応機種と遜色ないレベルと言えそうです。なお使用した充電器は下記のものです。

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 背面です。まるでiPhone7 Plusのようですね。サラサラとしたメタルボディが気持ちよく、高級感があります。
 アンテナラインも筐体を横切るようなものではなく、デザインに統一感があって良い感じ。あと指紋認証センサーがあると背面が寂しくなくていいですよね。

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 例に漏れずDual Cameraを採用しています。本体からやや出っ張っているので要注意ですね。

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 5XつながりでNexus 5Xとのツーショット。Nexus 5Xの背面は特殊な加工がしてあって、肌触りがいいんですよね。チープな感じは全くしないし裸で常用するのに最適というか。こういう路線のスマホ、増えてほしいです。

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 左側面にはSIMトレイがあります。Nano SIM*2のDual SIM対応モデルで、片方をMicro SDスロットとしても使えるという例のアレです。

 

いざ起動

 いよいよ起動です。

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 起動するとソフトキーがライトアップされます。オンスクリーンタイプだとスクリーンショットに写り込んでしまうので、こっちのほうが好みかな。
 なお、配列はXiaomi等一部の中国メーカーの特徴である、左から履歴・ホーム・戻るという順番になっています。設定で変えられるという認識だったのですが、項目が見つかりませんでした。中国版のROMだからかな。

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 言語一覧に日本語はありません。簡体字繁体字、英語、チベット語(たぶん)、ウイグル語(たぶん)のみです。一方タイムゾーンにはちゃんとTokyoがありますね。

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 GearBestのページにはGoogle Play Store入ってるよ~と書いてあったのですが、入っていません。

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 ショップROMではなくきちんと公式のROMですね。Mi 5Xの公式ROMは現在China Versionのみで、Global Versionは存在していません。
 EU版もweeklyはありますがstable版はありません。
 追記:追加されてました。weekly版を実際に焼いてみましたが、非常に安定しています。ただナビゲーションバーを入れ替えることはできないようです。ついでにこちらにあるMIUI9向けXposedを導入してみましたが、EU版ROMでもちゃんと動いています。
 追記:いくつかのアプリがクラッシュします。
 例のごとく技適は通ってないので注意してください。

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 Antutuのベンチマークスコアは6万3千点程度でした。ザ・ミッドレンジという感じですが、MIUI自体タスクキルなどの管理が強めということもあってか、体感では非常に快適、バッテリー持ちもいいと思います。負荷のかかるゲーム等しない方なら特にストレスを感じる場面はないと思いますね。
 一方で、そのタスクキルのせいでアプリの通知が正常に来ないのはかなり不満でした。バッテリーオプション、タスクキルオプション、通知オプション等いじっても私の環境ではAOSP並の通知は実現されませんでした。とはいえ、EU版のMIUI9を焼いて設定をいじったところ、通知に関する不満は解消されました。EU版だからなのか、それともMIUI8から改善されたということなのかはよくわかりません。

カメラレビュー

※そのうち掲載します、たぶん。撮ってきました。

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横浜駅のアレ

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こういうのは広角で撮りたい

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シウマイ

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担々麺

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マクロの撮影に強そう。

  ブログの都合上リサイズされてますが、雰囲気は伝わると思います。
 すべてオートで撮ったのですが、デフォルトで淡いフィルターがかかっているような気がしないでもない。あとちょっとのっぺりしてますかね。接眼してモノ撮るのには向いてそうですが、遠景だったり細かい文字列だったりは苦手かも。インカメラの写真は載せていませんが、自撮りしてみると肌がめちゃくちゃ綺麗に加工されます笑。
 ちなみにマナーモードではシャッター音、スクリーンショット音共に鳴りません。また、設定で個別にオフにすることも可能です。
 ※デフォルトのカメラアプリではなく、グーグルカメラなど別のアプリを別途インストールして使った方が綺麗に撮れる感じがします。カメラがちゃんとふたつとも使われているのかはよくわかりませんが…。

ケースレビュー

 今回は2つのケースを購入したので、そちらのレビューも簡単に。
 まずはひとつめ。こちらのTPUケースです。購入当時300円程度だったのがいまセールで123円になってますね。安い。

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 簡素なパッケージになっています。ケースは柔らかくぐにゃぐにゃ曲げることができます。

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 右側面部ボタンは切り抜かれていませんが、固く感じたりはしませんでした。ストラップホールもありますが、首からぶら下げるような用途には向かないと思います(最悪ケースがすっぽ抜けそう)。背面は指紋がつきやすく、握ったときもベタッとしていて滑りやすいです。

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 肝心のカメラ部分の出っ張りですが、「平行になった」という感じです。ちょっと不安が残ります。
 次にもうひとつのやつです。こちらのPCケースです。1000円弱するちゃんとしたものですね。

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 なぜかパッケージの上下がぱかーんと空いた常態でした笑。こちらのケース、Black, Gold, Red, Whiteとカラバリがあるので、例えば本体Black + ケースWhiteでパンダカラーを楽しんだりもできそうですね。
 背面がやすりのようになっているのですが、側面がつるつるしているので思ったよりも滑りやすいですね。ヤスリの部分は汚れがつきやすそうな感じもしますが、肌触りは非常に良いです。

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 上部・下部ともに切り抜かれています。ボタン周りはくりぬかれるような感じになっていて、ちょっと押しづらくなってしまった。

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 カメラ部分ですが、このケースだとちゃんとカメラが凹んでますね。

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 嬉しい誤算というべきか、こちらのケースにはフィルムもついていました(使用していないのでクオリティはわかりません)。

 

シャオミ(Xiaomi) 世界最速1兆円IT企業の戦略

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シルバーデモクラシー論を考える-世代間対立を越えて

はじめに

 シルバーデモクラシーとは、「人口比率と投票率の偏りによって、高齢者の政治的影響力が現役世代のそれを上回っている。その結果として社会保障の配分が高齢者に偏ることとなり、世代間格差に繋がっている」という流行りの仮説である。シルバーデモクラシーを構造的問題であるとみなす立場からは、シルバーデモクラシーを解決するための選挙制度改革がいくつか提案されている。また、政治に興味のある同世代の人と話をすると、このシルバーデモクラシー論に関心を持っている人が非常に多い(なお自分は20代の人間である)。
 シルバーデモクラシー論は政治学者の菅原琢がいうように「最近の論壇において流行語となり、仮説ではなく半ば事実として受容されてきた」 *1が、一方でその定義は曖昧で、言葉だけが独り歩きしてきた傾向にあるのは否めない。シルバーデモクラシーやそれによってもたらされる世代間格差の当事者はまさに私たちの世代であり、興味関心を持つのは当然のことであろう。だが、実態の正確な把握なしには解決もできない。本稿では、シルバーデモクラシー仮説に懐疑的な立場から、シルバーデモクラシーや世代間格差について再検討していきたい。

 

シルバーデモクラシー」の罠

 先述したとおり、シルバーデモクラシーは自明のものとして扱われてきた経緯があり、「社会保障の分配が高齢者に偏りすぎている」「高齢者が過剰に優遇されている」といった批判がよくなされる。だが、具体的にどの政権のどの政策がシルバーデモクラシーの実例なのか議論されることは少ない。
 例えば、八代尚宏は安倍政権下で行われた低所得高齢者に対する臨時給付金を実例として取り上げているが、安倍政権はむしろ若年層からの支持が比較的厚い*2(図1*3)。

図1 年代別の歴代内閣支持率

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 また、若年層が安倍政権や自民党をより支持する傾向がある一方で、民進党の支持層は高齢化する傾向にある(図2*4)。だが、民進党の看板政策は「人への投資」、すなわち教育投資であり、「チルドレンファースト」という強い言葉を使ってすらいる*5。これらはなかなか興味深い傾向であるが、支持年齢層と政策のアウトプットは違うということだろうか。いずれにせよシルバーデモクラシー仮説で上手く説明できない事象である。

図2 高齢化する民進党支持層

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 また、安倍政権と最も関わりの大きい利益団体といえば経団連を思い浮かべるが、もちろん経団連高齢者の利益を代表しているわけではない。あるいはこのところ、国会では若年層に関する政策論争が絶えない。例えば待機児童の存在は大きくクローズアップされ、高等教育の無償化は最優先の憲法マターとして政府与党が検討している。果たしてシルバーデモクラシーなるものは実在するのか。実在するのだとすれば具体的には何を指すのだろうか。
 ところで、大阪都構想や英国のEU離脱シルバーデモクラシーであるとする向きもある。確かに、これらの例ではいずれも若年層の投票傾向とは逆の結果に終わっている。だがここで重要なのは、どちらも賛否が拮抗する中で若年層の投票率が低かったことである。つまるところ、実際には若年層が投票に行くことで結果を左右することができたにも関わらず、若年層の多くは投票に行かなかったのである。そのような層はいわば無関心層であり、若年層を「大阪都構想に賛成していた」「EU離脱に反対していた」とひとくくりにしてしまうのは間違っている。
 そもそもとして、現在すでに人口比率上若年層が不利な状況に陥っているわけではない。実のところ、65歳以上の高齢者が有権者人口に占める割合は30%程度であり、18歳から30代までの若年層が有権者人口に占める割合とほぼ同じである*6。シルバーデモクラシーなるものが仮にあったとして、問題なのは若年層の政治的無関心であり、決して人口構造ではない。上記の2例についていえば、どちらも世代間対立的なマターではないし、直接民主主義的取り組みである以上、選挙制度的議論もなじまない。結局のところ、これらをシルバーデモクラシーの実例として扱うのは適切ではないだろう。

 

「世代間格差」の罠

 シルバーデモクラシーと同時に語られることが多いのが、世代間格差の議論である。世代間格差問題とは、社会保障における負担と受益のバランスが世代によって大きく異なることを指している(図3*7)。シルバーデモクラシーが世代間格差を生んでいるという説は広く受け入れられているように思える。

図3 年金・医療・介護全体における生涯純受給率

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 だが、世代会計と呼ばれるこれらの手法に対してはいろいろな批判がある。例えば、厚生労働省によれば、世代間格差の最大要因は少子高齢化ではなく社会保障の社会化にある*8。社会保障の社会化とはつまり、私的扶養から社会的扶養への移行を指す。年金を例に考えてみるとわかりやすい(図4, 図5*9)。

図4 高齢者の収入源推移 その1

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図5 高齢者の収入源推移 その2

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 図4を見ると分かる通り、1968年から1974年にかけて子の扶養に経済的に依存する高齢者は大きく減った。逆に言えばこの時代は公的年金が不完全であり、子の扶養に依存する高齢者が多く、現役世代は高齢者を私的に扶養していたのである。逆に、2015年の調査では子供からの援助を主な収入源とする高齢者は1%に満たない*10。過去にあった私的な扶養は、図3のような世代会計には反映されない。そのため、現在高齢者となった彼らの「負担」は低めに見積もられているのである。我々現役世代と現在の高齢者とでは、社会保障の負担の在り方が大きく違う。その点を無視して、公的な負担のみを比較するのはアンフェアであろう。
 このような社会保障の「社会化」は、保育園や介護といったサービスにもあてはまる*11。専業主婦世帯が多くを占めていた時代、保育や介護といったサービスは主婦が供給してきた。しかしながら、共働き世帯が増える中でそれらのサービスは社会化されていった。保育や介護を公的に供給するにはお金がかかる。その意味で、公的な税負担を見れば我々現役世代の負担は現在の高齢者が現役世代であったころに比べ大きくなるだろう。とはいえ、彼らはそのような負担を私的に行ってきた世代である。やはり公的な負担のみで世代を比較するのはアンフェアであろう。
 さて、もともとシルバーデモクラシー論は高齢者への分配の偏りを問題視してきた。とはいえ、高齢化率が高まる以上高齢者への支出が増えていくのは当然である。つまるところシルバーデモクラシー論とは、「高齢者の政治的影響力によって、高齢者への分配が、高齢化率から見ても過剰なほどになされる」という議論のはずである。だが実際には、そのような傾向があることは確認できない(図6)。

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 この図を見て分かるとおり、高齢者に対する社会給付を国際比較で見れば、日本は高齢化率に比べ支出を抑えられている方だといえるだろう。果たして、日本において高齢者は過剰に優遇されているといえるのだろうか。対GDP比で見たときに教育関連の支出が少ないのは事実であるが、それだけをもって政治がシルバーデモクラシーに支配されてしまっているとするのは早計ではないだろうか。

 

選挙制度で「解決」すべきものなのか

 先述したとおり、シルバーデモクラシーを批判する立場からは選挙制度の改革案が提示されている。例えば、八代尚宏や小黒一正は、シルバーデモクラシーは構造的な問題であるとして、世代別選挙区、ドメイン投票方式、余命比例投票の3つの選挙制度改革を検討している*12。他にも、義務投票制が改革案としては考えられるだろう。だが、憲法によって投票価値の平等原則が保障されていることを考えれば、このうち現実的なのは世代別選挙区と義務投票制に限られる。他の選挙制度については理論の大きな転換が必要であり、そのまま実現しても違憲判決が出る可能性は高い。
 それでは、世代別選挙区や義務投票制は世代別の政治的影響力を変化させうるだろうか。確かに先述したとおり、有権者に占める若年層の割合は高齢者のそれと大きく変わらない。ならば、若年層が人口比に応じた影響力を行使すれば、それで十分シルバーデモクラシーは解決できることになる。しかしながら、やはり課題もある。なぜならば、現時点では人口比が拮抗しているとはいえ、将来的にはそのバランスが大きく崩れることになるからだ。特に世代別選挙区は必然的に世代間対立を煽る。そのような社会環境になれば、若年層は人口比で見て勝ち目がないことになる。
 そもそもの話をしてしまえば、特定の方向に政策を誘導するために選挙制度改革(それも投票価値!)を議論すること自体が禁忌であろう。特にドメイン投票方式や余命比例投票は投票価値の平等原則を脅かすものであり、このような選挙制度が検討されていること自体に疑問がある。実際のところ、現在の有権者が将来世代のことを考えた投票行動をできるかどうかというのは、民主主義の根本的問題である。増税を拒み、国債を積み上げる現在の政治には、そのような構造的問題を見出すことができるかもしれない。しかしながら、だからといって民主主義そのものを放棄したり選挙制度を変えたりすることが解決策になるわけではない。この点を踏まえた議論をしていくべきだろう。

 

「世代間対立」を越えて

  シルバーデモクラシー論や世代間格差論は、必然的に世代間対立を煽る。そういった議論の前提にあるのは、「有権者は自身の利益を最大化しようとする」という合理的経済モデルであり、それを高齢者に当てはめて考えている。だが、果たしてこのようなモデルは正しいのだろうか。実のところ、それは怪しい(図7, 図8、図9*13)。

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図9 社会保障負担に対する年齢別意識

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 図7を見て分かる通り、日本の高齢者は他国と比べて若い世代の利益を重視する傾向が強い。また、図8に示されているとおり、この傾向は年々強まっている。高齢者も一枚岩ではなく、高齢者重視と若い世代重視とが拮抗している現状がある。また、図9にある通り若年層も一枚岩とはいえない。むしろ若年層の方が高齢層よりも現役世代の負担増加をやむを得ないとする傾向すら見て取れる。このように、シルバーデモクラシー論の前提にある合理的有権者モデルは、世論調査レベルではむしろ否定されているのである。
 それでは、なぜこのような傾向が生じるのだろうか。ひとつの仮説としては、現役世代と高齢者との社会的紐帯の存在が挙げられるだろう。世代間対立とはいうが、現役世代と高齢者は、子と親であったり、あるいは孫と祖父母であったりする。互いにそのような関係にある以上、自らの利益ばかりを追求するわけにはいかない。考えてみれば、これは当然のことではないだろうか。シルバーデモクラシー論の最大の過ちは、そのような社会的紐帯を無視し、世代間対立を煽って選挙制度改革というラディカルな解決方法にすがったことにある。
 以上述べてきたように、シルバーデモクラシーや世代間格差の実態は曖昧であり、そのファジーさから都合の良い使われ方をしてきた。例えば八代尚宏は、マクロ経済スライド実施に反対する集団訴訟シルバーデモクラシーだとして批判している。だが、司法はすべての人間に開かれてしかるべきだし、政府の施策に対する司法的抵抗は、本来政治的弱者の手段である。シルバーデモクラシーなる言葉がひとりあるきして、単なる「高齢者叩き」と化してしまっているきらいがあるのではないだろうか。
 そもそもとして、社会保障制度の根幹は長い間大きく変わっていない。高齢化によって高齢者有利の制度が出来上がっていったとする説には無理が伴う。だとすれば、従来の制度を変えることができない、その硬直性にこそ「シルバーデモクラシー」の本質があるのだろうか。確かに、デフレ時のマクロ経済スライド不適用など課題も多い。だがそれは、われわれ有権者増税を拒むのとなにか違うのだろうか。世代論に落とし込まなければ説明できないような事象なのだろうか。
 先述したとおり、増税を拒み負担を先送りする現在の政治状況には、民主主義の根本的問題を見出すことができるかもしれない。だからといって、独裁や、投票価値をいじったりすることがその解決策になるわけではない。確かに我々有権者増税が嫌いだ。だが、将来世代に負担を先送りすることを良しとしているわけではない。そのような矛盾を誰しもが抱えているのである。だからこそ、世代間対立を煽るのはあるべき方向性ではない。少子高齢化が進む中で、どのように社会保障を配分していくかは重要かつ難しい問題である。そしてそれを解決するのは、熟議と国民の理解でしかありえないだろう。

 

おわりに

 本稿ではシルバーデモクラシーや世代間格差について、従来の仮説にやや批判的な立場から論じてきた。とはいえ、こういった議論が出てくる背景は理解できなくもない。経済成長率が鈍化し高齢化率が高まる中で、現役世代がパイの縮小に不満を抱くのはある意味当然でもある。少子高齢化が加速する日本の将来はどうしても悲観的に見えてしまうし、実際に、ここでいくつか絶望的なデータを提示することも簡単だ。だからこそ、最後に希望を持てる推計にも光を当てておきたい(図10*14

図10 人口構成の変化と就業者数の推移

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 従来、社会保障の負担を巡っては、現役世代と高齢者との人口比が指標として用いられてきた。一般的に、みこし型、騎馬戦型、肩車型などと呼ばれるのが図10の上図にあたるその推移である。一方で下図は、少子化、共働き世帯化、高齢者の労働参画が進む中で、就業者と非就業者との人口比を維持できることを示している。つまり、扶養の負担が劇的には変化しないかもしれないということだ。安倍政権でも「一億総活躍社会」というフレーズのもと女性や高齢者の労働参画を推進しようとしているが、この推計を踏まえれば、将来に絶望する必要はそこまでないのかもしれない。

 

注・出所

*1 菅原琢18歳選挙権で政治は変わるか」http://www.nippon.com/ja/currents/d00189/
*2 最近の世論調査でも、その傾向は強くあらわれている。内閣支持率の下落を取り扱った読売新聞の記事によれば、「年代別では、特に高齢層で支持が大きく低下した。18~29歳と30歳代は支持が6割以上を保ったが、50歳代は44%(前回55%)、60歳代は36%(同54%)、70歳以上は45%(同60%)となった」。「無党派高齢層 支持離れ 終盤国会対応 響く」読売新聞, 2017年6月19日
*3 「加計・森友問題、それでも…崩れぬ「安倍支持」の理由」朝日新聞, 2017年5月29日, http://www.asahi.com/articles/ASK5V3PWRK5VULZU002.html
*4 「民進“シルバー政党”化 支持層の62%が60歳以上 年金法・IR法反対…志向とマッチ」産経新聞, 2016年12月19日, http://www.sankei.com/politics/news/161219/plt1612190048-n1.html
*5 民進党ホームページhttps://www.minshin.or.jp/policies
*6 総務省人口推計より筆者計算。総務省ホームページ参照http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2013np/
*7 横軸は生年。縦軸は生涯賃金に対する比率を示している。鈴木亘・増島稔・白石浩介・森重彰浩「社会保障を通じた世代別の受益と負担」http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis281/e_dis281.pdf
*8 以下、厚生労働省社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ社会保障制度の“世代間格差”に関する論点」http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000053851.html
*9 図はいずれも「社会実情データ図録」http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1320.html
*10 内閣府平成27年度 第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果」http://www8.cao.go.jp/kourei/ishiki/h27/zentai/
*11 あまり話題にならないが、待機児童だけではなく待機老人も社会問題になっている。増田寛也(2015)『東京消滅』中公新書.によれば、東京における介護需要の急速な高まりは大きな問題である。
*12 世代別選挙区とは、世代ごとに選挙区を区切り選挙を行う制度である。また、ドメイン投票方式とは、非有権者の子を持つ親に子の分の投票権を持たせる制度である。そして、余命比例投票とは平均寿命と現在年齢との差分によって、その個人の投票価値を決める制度である。
*13 *1に同じ
*14 「「少子高齢化」への対策」YomiDr., 2012年4月25日, https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20120425-OYTEW51671/

 

ちょっと気になる社会保障 増補版

ちょっと気になる社会保障 増補版

 

「民共共闘」とは何か-そのオルタナティブを考える

 衆議院議員である長島昭久民進党を離党したことは、ちょっとした話題になった。長島は離党の理由として、民進党と共産党選挙協力、すなわち「民共共闘」を挙げている。実際のところ離党の理由としてはいろいろな憶測があるのだが、とりあえずここでは「民共共闘」をどう評価できるか考えていきたいと思う。
 そもそも、民進党はなぜ共産党選挙協力をするのだろうか。その理由は選挙制度にある。衆議院選挙制度小選挙区制を中心としたものであるが、第三の候補者が出てきた場合、小選挙区制は票割れという深刻な問題を抱えることになる。
 例えば、下のような事例を見てみよう。この選挙区で議席を獲得できたのは政党Aである。ところが、政党Cの立場が政党Bに近いもので、政党Cの支持者が政党Aよりも政党Bを望ましいと考えていたとしたらどうだろうか? この場合、政党Cは候補者擁立を見送ることによって、政党Bを勝利させることができるのであり、また、それが民意=有権者の選好をより正確に表した選挙結果であるといえる。

  得票率
政党A 45%
政党B 40%
政党C 15%

 そもそも、小選挙区制においては政党Cのような存在を前提としていない。なぜならば、政党Cのように当選可能性が低い候補者は、合理的な選択によって立候補をしないはずであって、結果として小選挙区制は二大政党制をもたらすと考えられるからである(デュヴェルジェの法則)。
 ところが、衆議院選挙制度小選挙区比例代表並立制と呼ばれるものであり、比例代表部分に頼った小政党も存在する。このような小政党には、仮に当選可能性が低かったとしても、比例代表における票の掘り起こしや地方組織の維持・活性化を目的として、小選挙区に候補者を擁立するメリットが存在する。
 ここで、政党Aを自民党、政党Bを民進党、政党Cを共産党とすれば、「民共共闘」の構造を理解しやすい。共産党には当選可能性がなくとも候補者を擁立するメリットがあるのであり、その結果として自民党が「漁夫の利」的勝利を得ていた選挙区が一定程度あったのである。
 さらに、下の図は第47回衆議院議員総選挙における明推協の意識調査の結果だが、いわゆる「革新政党」が日本には数多く存在することがわかる。つまり民進党が二大政党の一角を担うのは極めて難しいのである。

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  このような理由から、民進党は合理的選択によって野党共闘を進めてきた。ここで大事なのは、民共共闘」には確かに「野合」的要素もあるものの、それは同時に、選挙結果にわれわれ有権者の選好を正確に反映しようとする試みでもあった、ということである。共闘はどうしても批判の対象になりやすいが、このようにポジティブな評価を加えていくことも必要である。
 しかしながら一方で、野党共闘が政党の境界を曖昧にし、また政党ラベルを傷つける可能性がある、という批判も正しい。特に最左派・共産党との協力に否定的な見解が多いのも理解できる。だがしかし、それならば、われわれの選好をより正確に反映できる別の方法を模索するべきではなかったのだろうか。
 実は、小選挙区制を維持したとして、そのような選挙結果をもたらす選挙制度を設計することは十分に可能である。この点については、坂井豊貴『多数決を疑う』(岩波新書)に詳しい。例えば、いま話題のフランス大統領選挙で用いられている決選投票付き多数決もそのひとつの方法であろうが、坂井氏はボルダールールを有力視ししている。
 ボルダールールを説明すると、例えば候補者が三人ならば、有権者は三人に順位をつけて投票し、候補者は順位によって3点、2点、1点と点数を獲得する。そしてこの点数の合計が最も多い候補者が当選する、というものである。このルールならば小選挙区制の脆弱性である票割れを緩和できる。
 また、小選挙区制における票割れという脆弱性に苦しめられているのは、民進党だけではない。先の参院選においては、幸福実現党の候補者擁立によって自民党議席を落とした選挙区が複数あった(参照)。
 このように考えれば、小選挙区制の脆弱性を克服できるような選挙制度与野党で作成していくのは、決して不可能なことではなかったといえるだろう。長島昭久民共共闘を理由に離党してしまったが、民共共闘は合理的選択であった上に、有権者の選好をより正確に反映できるものであった。民共共闘のデメリットを問題視するならば、小選挙区制の脆弱性を克服できるような選挙制度を提案し、率先して与党を巻き込んだ議論を起こしていくべきだったのではないだろうか。

 

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する

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「地方自治は民主主義の学校である」と言ったのは誰なのか?

 「地方自治は民主主義の学校である」ーこれは非常に有名な言葉なので、知っている人が多いだろう。住民が地方自治に参加することによって政治に対する意識が高まり、結果としてより良い民主主義を実現できる、そういった考え方である。一般的にこの言葉はイギリスのブライスによるものだとされるが、フランスのトクヴィルによるものだ、とする説もある。果たしてどっちが正しいのだろうか。
 実際にブライス『近代民主政治 第一巻』松山武訳(岩波文庫, 1929)を読んでみると、160ページに以下のような記述がある(旧字など一部修正済み)。

[……]しかして農夫も労働者も商店主や土地持ちの百姓と等しく、総ての人々を公共の事業に参加せしめ、その自治体のため自身で考え、またその周囲に何らかの奉仕し得る範囲をもっていることを自覚させる事はその重要な点である。彼らは自己に賦与された権力について公共に対して責任を持つという原理の運用を狭小な範囲で観察し、より大規模の問題についてこれを立派に応用出来るようになるのである。

[……]民主的な政治が最も国民の興味を集め、その中から有能の人物を挙げているのはスイス及び合衆国、特にその北部及び西部の諸州で、いずれも農村における地方自治の最も発達している地方である。けだしこれ等の例は地方自治は民主政治の最良の学校、その成功の最良の保証人なりという格言の正しいことを示すものである。

  ブライスは確かに「地方自治は民主主義の学校である」と言っているが、それはあくまで「格言」を引用する形になっている事がわかる。この言葉の初出をブライスに求めることは難しいだろう。
 それではトクヴィルの方はどうだろうか。トクヴィル『アメリカのデモクラシー 第一巻(上)』松本礼二訳(岩波文庫, 2005)の96-97ページから引用する。

 地域共同体の自由を確立するのは非常に難しく、またそれはあらゆる自由の中でもっとも権力の侵害にさらされやすい。地域自治の諸制度は、単独では、野心的で強力な政府にとうてい抵抗できまい。うまく自己を守るためには、それは全面的に発達し、国民の思想や習慣と一体化していなければならない。したがって、地域共同体の自由は習俗に根づかぬ限り簡単に破壊される。そして、長い間法の中に生き続けた後でなければ習俗に根づくことはできない。

 地域共同体の自由は人間の努力次第でできるというものではない。したがって、それが人の手で創り出されることは滅多になく、いわばひとりでに生まれてくるのである。それは半ば野蛮な社会の中でほとんど人知れず成長する。法と習俗と環境、なかんずく時間の絶えざる作用がようやくこれを確たるものにする。ヨーロッパ大陸のいかなる国をとってみても、地域共同体の自由を知る国民は一つとしてないといえる。

 しかるに、自由な人民の力が住まうのは地域共同体の中なのである。地域自治の制度が自由にとってもつ意味は、学問に対する小学校のそれに当たる。この制度によって自由は人民の手の届くところにおかれる。それによって人民は自由の平穏な行使の味を知り、自由の利用に慣れる。地域自治の制度なしでも国民は自由な政府をもつことはできる。しかし自由の精神はもてない。束の間の情熱、一時の関心、偶然の状況が国民に独立の外形を与えることはある。だが、社会の内部に押し込められた専制は遅かれ早かれ再び表に現れる。

 長くなってしまったが、トクヴィルは「地方自治は民主主義の学校である」とは言っていないことがわかる。もちろん自由は民主主義の重要な一要素ではあるが、ここでは専ら自由との関係に絞って論じられており、民主主義そのものの話は出てこない。結局、格言の初出はトクヴィルとも言えないことになる。
 とはいえ、ブライスが引用した「格言」の大元は、おそらくこのトクヴィルであろう。『アメリカのデモクラシー』が出版されたのは1835年で、『近代民主政治』は1921年であるから、実に86年もの期間が開いている。大方、「伝言ゲーム」をするうちに言葉が変わっていったのだろう。その変遷についての研究があるかは把握していないが、未だ手を付けられていないのであれば、これを調べるのも面白そうでは、ある。

 

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

 

天皇の天皇制からの解放-天皇解放論とは何か

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 今上天皇の「おことば」は世間を騒がせたが、そもそも私は象徴天皇制を廃止すべきだと思っている。ここではその理由を述べたい。なお、はじめに断っておくが私の立場は「反天皇」ではない。むしろ今上天皇には敬意を抱いている。だが、皇室に親しみがあるわけでも、関心があるわけでもない。これは自分のような若い世代において、多数を占める立場だといって問題ないだろう*1。
 そのような私が問題視するのは、象徴天皇制の非人道性である*2。皇族は表現の自由や信教の自由、参政権などを筆頭に、職業選択の自由など諸々の人権を制約されている。皇族以外にも重要な人権を制約されている人たちはいる。例えば公務員がそうだが、彼らは自らの選択でそうなったのであり、問題はない。すなわち、象徴天皇制の問題は「彼らは生まれながらにして人権を制約される」というところにある。
 現代において「我々は生まれながらにして人権を保有している」という理解が通説であることを考えれば、象徴天皇制の非人道性はまさにその真逆にある。皇族は皇族に生まれてしまったが故に、自由な人生を全うできないのである。仮に皇位継承者がLGBTに生まれてきたらどうするのだろうか*3? 象徴天皇制はこのような問いに対する答えを持ち合わせていない。
 ジョン・ロールズは無知のヴェールという概念を提唱した。我々は、どのような家庭に生まれるかを選択することができない。だからこそ、どのような環境に生まれたとしても本人次第で正当な評価を受けられるような社会設計をしなければならない。そういった議論だ。象徴天皇制の非人道性を議論することは、給付型奨学金を議論することの延長線上にあるといってもよい。
 そもそもとして、象徴天皇制は国民の総意に基づいているはずだ。すなわち、象徴天皇制が非人道的であるのはまさしく我々国民の選択によるし、その責任がある。これまで、我々は皇族に「象徴」という何の自由もない堅苦しい立場を押し付け、いいように使ってきた。我々は象徴天皇制を廃止し、「彼ら」を「我々」に迎え入れなければならない。「おことば」がその第一歩になることを願っている。

 

*1 平成の皇室観 | 世論調査 - 社会や政治に関する世論調査 | NHK放送文化研究所
*2 この考えの先駆けとなるのが中野重治「五勺の酒」(1946)である。中野は、当時封建的な視点から天皇制廃止を唱えていた共産党を痛烈に批判している。天皇について「個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ」と評価し、「天皇天皇制からの解放」を共産党こそが主張するべし、と唱えた。
*3 特に「男の子を産まなければならない」という前時代的プレッシャーが皇族にあることを考えれば、この問題は深刻である。

 

以下、資料として置いておく。

 一昨日、有栖川宮邸で東宮(後の大正天皇)成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。生まれるが早いか、至るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたのである。[……]現代および次代の天皇に、およそありとあらゆる尊敬を払いながら、何らの自主性をも与えようとはしない日本の旧思想を、敢然と打破する勇気はおそらく伊藤にはないらしい。この点をある時、一日本人が次のように表明した。「この国は、無形で非人格的の統治に慣れていて、これを改めることは危険でしょう」と。

ベルツの日記〈上〉 (岩波文庫)

ベルツの日記〈上〉 (岩波文庫)

 

[……]主権なき国王の位地は、随分迷惑なものならん。将来人類普通の教育を受け、文芸そのたの嗜好を有する皇族様方にとつては、皇位につくことは、ずいぶん御迷惑の次第ならんかとも恐察し奉る。儀礼その他無意味のことがらに、多くの時間をとられて、自己天賦の嗜好を研磨する時間を得るあたはざる生活は、決してたのしきものではあるまい。将来は英国前皇帝の如く、皇位を避るものが増加するかも知れない。
尾崎行雄、1946年の衆議院における憲法改正賛成演説にて。旧字体は直してある。なお帝国議会会議録検索システムより閲覧できる。

 

※備忘録代わりに追記

[……]明治になって皇族が名実ともに超特権身分となり、天皇の「藩屏」とされた以上、彼らがこのような「ノブレス・オブリージュ」を課せれられるのもやむをえないところであった。そして皇族の中にはこのような期待に応えようと心掛けた人もいたこと、逆に全く無頓着な人もいたことも本書で見た通りである。
 後者のような皇族を批判するのはやさしい。富と特権を保証されながら、責務を果たさないのは「いいとこどり」で許されない。「崇高なる御天職」がいやならば、さっさと臣籍降下すればよろしい――。しかし、彼らも望んで皇族に生まれたわけではない。臣籍を離れることは皇室典範でも認められているが、実際にはそう簡単にはできない。このようなジレンマの中で、皇族たちは今のわれわれには不可解とも滑稽とも見える行動をとってきたのだ。

皇族と天皇 (ちくま新書1224)

皇族と天皇 (ちくま新書1224)

 

 天皇の血統が断絶して何が問題なのかと、私は言いたい。
 天皇システムと、民主主義・人権思想とが、矛盾していることをまずみつめるべきだ。
 そもそも皇族は、人権が認められていない。結婚は「両性の合意」によるのでなく、皇室会議の許可がいるし、職業選択の自由参政権もない。皇族を辞める自由もない。公務多忙で、「お世継ぎ」を期待され、受忍限度を超えたプレッシャーにさらされ続ける。こうした地位に生身の人間を縛りつけるのが戦後民主主義なら、それは本物の民主主義だろうか。皇位継承者がいなければ、その機会に共和制に移行してもよいと思う。
 日ごろ皇室を敬えとか、人権尊重とか主張する人びとが、皇族の人権侵害に目をつぶるのは奇妙なことだ。皇室にすべての負担を押しつけてよしとするのは、戦後民主主義の傲慢(ごうまん)であろう。皇室を敬い人権を尊重するから、天皇システムに幕を下ろすという選択があってよい。
 共和制に移行した日本国には天皇の代わりに大統領をおく。この大統領は、政治にかかわらない元首だから、選挙で選んではいけない。任期を定め、有識者の選考会議で選出して、国会が承認。儀式などの国事行為を行う。また皇室は、無形文化財の継承者として存続、国民の募金で財団を設立して、手厚くサポートすることを提案したい。
橋爪大三郎朝日新聞2005年05月30日夕刊

 いまや保守派のなかからさえ、「天皇抜きのナショナリズム」が台頭している。日本のナショナリズムが成熟しているとするなら、もはや天皇に依存する必要はなかろう。若者のあいだで、天皇および天皇制に対する無関心は半数を超える。サッカーで「ニッポン、チャチャチャ」をうたうぷちナショナリズムな風景のなかに、天皇の居場所はない。天皇制を維持するために日本の税金のうちどれだけのコストを払っているかを知ったら、かれらはそんなもの、もう要らない、というかもしれない。
 それより何より、戸籍も住民票もなく、参政権もなく、そして人権さえ認められていない皇族のひとたちを、その拘束から解放してあげることだ。住まいと移動を制限され、言論の自由職業選択の自由もなく、プライバシーをあれこれ詮索(せんさく)され、つねに監視下に置かれている。こんな人生をだれが送りたいと思うだろうか。失声症適応障害になるのも無理はない。
 天皇制という制度を守ることで、日本国民は、皇族という人間を犠牲にしてきたのだ。ほんとうを言えば、制度に安楽死をしてもらうことで、制度の中の人間に生き延びてほしい、わたしはそう思っている。
上野千鶴子朝日新聞2005年08月17日夕刊

 

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか

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